奥州市江刺区にある『豊田館跡』へ行って来ました



ここは奥州藤原四代の祖、藤原清衡生誕の地です。

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◎豊田館について◎
豊田館は、亘理権太夫藤原経清その子清衡(平泉藤原氏初代)の館であった。
経清は、田原の藤太と呼ばれた藤原秀郷の子孫といわれ、初め宮城県亘理地方を支配する国府の官人であったが、後に奥六郷の主安倍頼時の娘婿となり、豊田館に住まいした。
平安朝廷と安倍氏の戦いである『前九年の役』で、経清は初め朝廷軍の将、源頼義、義家父子の麾下に属したが、途中から義父安倍頼時に味方し、源氏とこれを援ける秋田の清原氏の連合軍と戦い、最後は厨川の柵で敗れ処刑された。
時に康平5年(1062年)清衡7才であった。
母は清衡を連れて敵将清原武貞の後妻となった。
20年後、清原氏の内訌から起こった『後三年の役』に、義家の援けを受けて勝ち残った清衡は、豊田館に帰り奥羽を治めたが、康和年間(1099〜1103年)に平泉へ移り、藤原四代の祖となった。
安永3年(1774年)銘の石碑に、ここが藤原経清。清衡父子の館跡であり、付近に舟橋の地名や、高水寺跡、延喜式内の鎭岡神社、白旗の池がある、ときざまれている。
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昭和54年10月5日東大名誉教授藤島亥治郎博士が豊田館跡調査の際に書いてくださった『清衡の居城 豊田館の想像図』もあります。

今はひっそりと、幾つかの碑と愛宕神社があるのみです。


こちらは『豊田城址碑』。
江戸時代に仙台藩により建てられたものです。

碑文には、「藤原経清の居館豊田跡にして嫡男清衡生誕の地である」と記されています。
小高い丘の上にあるので、眼下に現代の江刺区が広がります。

ここに住まいを構えた藤原経清が清衡という子を成し、清衡は後に平泉に中尊寺や金色堂を築きます。
父や兄弟、前九年・後三年の役の戦没者を含め、数多の霊を浄土へ導き、奥州全体を仏教の理想の下に治めたいとの願いからです。
そしてここから奥州藤原氏は三代に渡り、栄華を極めて行きます。
中尊寺を見る前、または後に、藤原四代の祖清衡、その生まれ育ったこの地を見てみるのはいかがですか?
何か新しい発見があるかもしれませんよ

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○豊田館跡
住所:岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢字餅田
○問い合わせ先
(一社)奥州市観光物産協会 江刺支所
TEL:0197-35-2111 FAX:0197-35-3476
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